【僕らは奇跡でできている 第3話】フジテレビ系列、火曜21時放送
https://www.ktv.jp/bokura/index.html
第3話は相河一輝(高橋一生)が虹一を動物園に連れて行ったことで誘拐騒ぎになるというストーリーでした。
ちなみに主人公が発達障害なのではという声も出ていますが、私はその方面に詳しくないので感じたことをそのまま書きます。
このドラマを観ていて『ベロニカは死ぬことにした』(パウロ・コエーリョ)を思い出しました。
ストーリーが似ているという訳ではないですが、
「マリーから見れば、その難しさは混沌でも無秩序でも無政府主義からでもなく、過剰な秩序からきていた。社会にはますますルールが増え、そのルールに矛盾する法律と、さらにその法律に矛盾するルールができていった。人は、そんな生活の規範となる見えない規則の外に一歩でも出るのを怖がった」(文庫版p128)
「人は各々個性的で、それぞれの才能、本能、楽しみ方、そして冒険への欲求を持っている。ところが、社会は常に、我々にある集合的な行動を強制する。でも人は、なぜそんな行動を取らなければならないのかなんて考えもしないんだ。タイピストが、QWERTY式キーボードが唯一無二ということを受け入れたのと同じように、人はただ受け入れるだけなんだ。時計の針がどうしてある方向でなく、もう一方に動かないか聞いてきた人に、今まで出会ったことがあるかい?」(同p205)
という部分はこのドラマのテーマと一部通じるものがあると思います。
人間は元々自由です(と私は考えています)。
しかし、全員が思い思いのまま行動していては各々の利害がぶつかり、安心して暮らすことができないでしょう。そこでルールが必要となります。
つまり私たちは暮らしやすさのためにルールを決めて、守っているのではないでしょうか。
そしてルールを守らない人が増えたら、元の自由すぎて暮らし辛い状態に戻っていってしまいます。
だからルールを守ろうという思いが共有されている必要があります。
ところが、私たちはルールを守っている理由を勘違いしてしまいがちだと思うのです。
つい、ルールが「正しい」から守っていると思ってしまいます。
すると、ルールから外れた「間違っている」人たちのことが許せなくなるかもしれません。
自分たちの立つ正しさという土台が揺さぶられますし、「こっちは苦労して守ってるのにあなたたちだけずるい」という思いもあるでしょう。
でもルールに馴染めない人がいることで、「もっと良いルールがあるのかも」とか「ルールを変えた方が暮らしやすくなる人がいるのかも」とか、社会全体の幸せの総和を増やすヒントになると思うんですよね。
改善する余地があるということに気付けるかもしれません。
伝わりますかね???
もっと正確に書きたいのですが、コストがかけられないのと実力の無さとが組み合わさってとりあえずポエムということでお許しください。
今後も継続して考えていきたいです。
いや、内容についてもっと書けよという話ですよね(笑)
一輝を受け入れる人が多いのは、イケメンだから許されてんじゃないの?というゲスいこともちょっと思っちゃいます(笑)
あと虹一ママが心配するのは普通の感覚だと思います。
このドラマは人を選ぶかもしれません。
でも今のところ傑作だと思います。
視聴率が取れなくてもこのまま突き進んでいって欲しいです!
私の満足度:9(10段階)