『悲しみを聞く人』
『悲しみを聞く人』(サンガ伝道叢書)長谷顕文
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、真宗大谷派で労務問題とパワーハラスメントがあったと昨年報道されました。
真宗大谷派宗務総長が謝罪 非正規僧侶残業代不払い : 京都新聞
この話題のことは知らなかったので報道を見たとき大変驚きました。
本書後半に労務問題とパワハラに関する記述がありますが、私としては前半の筆者がどのように大谷派教師となったのか、僧侶としてどのような歩みをしてこられたのかという部分がおもしろかったです。
私自身の歩みと照らし合わせながら読みました。
印象に残った箇所
・「そこで最初に聞かされたのは、真宗の教え、仏教の教えというのは生きている者のための教え、もっと言えば、自分自身のための教えなのだということでした」(p13)
たしかに、仏教は死後や死が近づいたときのための教えだと思われている方は多いかもしれません。
私は幼い頃から課題を抱えて色々と考えておりましたので、わりとすんなり仏教が自分のためにある教えだと思えたのですけれども。
・「そこには同じように悩みを抱えた仲間がいたということも大きかったと思います」(p14)
それぞれ悩みや課題を抱えている仲間がいるからこそ、仏道を歩めるのではないかと思います。
真剣に語り合える仲間との出あいを大切にしたいです。
・「親鸞さんが歩まれたご生涯そのものから学ぶということです」(p20)
・「私自身にとって親鸞さんとはどういう存在なのかと考えたとき、悲しみを聞く人だなと感じています」(p23)
親鸞聖人がどのようなご生涯を歩まれたのか、どのような方たちと出あいどのように接してこられたのか、そこを意識するとお聖教が新たに響いてくることがあるように思います。
親鸞聖人の背中に学ぶということも大切ではないでしょうか。
・「私の隣で親鸞さんも一緒に教えを聞いているのだというそういう感覚があります」(p26)
私もこの感覚があります。筆者が親鸞聖人を「親鸞さん」と呼ばれているのがとても良いなと思います。
本書前半は素直に南無阿弥陀仏と、読みながらお念仏申したくなる箇所が多かったです。
この件に関しては方々で様々な意見を聞いてきました。
それでも事情がはっきりとはわからず、私としては受けとめが難しいです。
ですから、逃げかもしれませんが本書の情報のみで判断することは避けたいと思います。
ここからは一般論として考えていきます。
一般論として、デフレ下の経済では労働環境がブラックになりがちです。
企業はコストカットして給料を抑えていく必要がありますから、給料以上の働きが労働者には求められます。
雇用状況が厳しければ、やめる覚悟で環境改善を訴えることもできません。
ますます労働者にとって不利な環境で働かせることができるという、負のスパイラルに突入していきます。
それを解消するためにはマイルドなインフレによる雇用の改善が必要とされます。
昨今ブラック企業が淘汰されてきているのは、雇用が改善傾向にあることが大きいと思われます。
雇用状況が良くなれば労働者が仕事を選ぶことができるので、労働環境は改善されるはずです。
労務環境やハラスメントの問題を考えるとき、心の問題として考えることも必要ですが、適切なマクロ経済運営を求めていくことも必要ではないでしょうか。
必ずしも誰か悪い人がいるから厳しい労働環境やハラスメントが発生するというわけではなく、環境によっては誰しも加害者、被害者になり得るのだと思います。
もちろん私自身も含めてです。
環境によって心は左右されます。
ですから、経済など社会の問題について考えることも、心の問題や「いのち」の問題について考えることにつながるのではないでしょうか。
ただ、一般論ではなくて現実問題として悲しみをもって声を上げられた方がいらっしゃるわけですから、私も僧侶としてこの問いかけに向き合っていきたいと思っています。