【僕らは奇跡でできている 第7話】フジテレビ系列、火曜21時放送
https://www.ktv.jp/bokura/index.html
第7話あらすじ
虹一(川口和空)が家出して一輝(高橋一生)の元へいきます。一輝の家で、一輝・虹一母(松本若菜)・育美(榮倉奈々)の三人が話し合い・・・というストーリーでした。
感想
飛べない鳥は、飛べないのか飛ばないのか・・・
ありのままの尾崎(北香那)は、言いたいことを言えない尾崎なのか言いたいと思ってる尾崎なのか。
上手いこと言っているようなそうでもないような・・・。
新庄(西畑大吾)の発言を聞いて最初はそう思いました。
でも考えてみればたしかに、やりたいことや言いたいことがあるのに「できない」とか「しちゃダメだ」と思い込んで自主規制してしまうことはよくありますよね。
尾崎さんはこの問いにどう応えるのでしょうか。
虹一が家出して一輝の家へ来ます。
虹一が一輝の元へ向かったのではないかと疑う虹一の母。
水本歯科で一輝と鉢合わせ、そのまま一輝の家へ向かいます。
一輝の家で母は虹一を連れ戻そうと試みます。
「できないならやればいいの」
「逃げるのはやめようよ」
「やればできるよ」
あぁ、これは私も人生の中で何度も言われてきた言葉です。
私は人一倍不器用なのですが、どうやらそれがサボっているように見えるみたいです。
他の人ができているのですから、そう思われるのも仕方がないのかもしれません。
「僕はダメじゃない!」
虹一の叫びは私の心の中の叫びでもあります。
虹一は一輝の家で一泊して翌日森へ行きます。
帰宅するとお母さんが迎えにきていました。
「人並みにできるようになんとかしなきゃ」
「やればできるということを教えてあげたい」
と言うお母さんに対して一輝は「やれないのかもしれません」と返しますが、お母さんはさらに「やりたくないからですよ」と決めつけてしまいます。
ここから一輝の過去が語られます。
「僕は子どもの頃人と同じようにできなくて、先生に怒られてばかりでした。僕をばかにしたようなことを言う人たちもいて、学校は大嫌いでしたが、理科は大好きでした。中学のとき理科クラブに入りました。あるとき理科クラブでジュウシチネンゼミの研究発表をして、みんなにすごいって言われました。先生にも褒められました。そんなことは初めてでした。すごいって言われるのが嬉しくて、もっとすごいって言われたいと思いました。すごいって言われたいから、理科クラブを続けました。僕を馬鹿にした人たちのことも見返してやりたいと思いました。最初は楽しかったです。でも、生き物のことだけは絶対に負けたくないって思ってるうちに、すごいことをやらなきゃって思うようになりました。そうしたら、生き物の観察が楽しくなくなりました。辛くなりました。寝るときイーってやっても眠れなくなりました。僕の祖父は、やりたいならやればいい、やらなきゃって思うならやめればいいっていいました。笑って言いました。理科ができてもできなくても、僕はいてもいいんだなぁって思いました。そうしたら、よく眠れるようになりました。生き物の観察を、またやりたいって。思いました。僕は、やれないことがたくさんありましたが、今もありますが、やりたいことがやれて、ありがたいです。虹一くんは、絵を描くことが大好きです。あ、お母さんのことも大好きです。」
ノーカットでお送りしました!笑
ラップで言えばパンチラインしかないような台詞ですね。
一輝もかつてはウサギだったのです。
第一話の感想で一輝は育美にたいしてちょっと上から目線だなあと思ったのですが、自分自身もウサギとして苦しんでいたからこそ出てきた言葉だったのですね。
この一輝の言葉にこれ以上感想を付け足す必要はないかなと思います。
そして虹一は家へ帰っていきました。
鮫島先生(小林薫)がおじいちゃん(田中泯)の元へやってきます。
「やっぱり一輝はあなたでできてますね。一輝が安心できる世界をつくったじゃないですか」
「家と、この森だけ。ちっぽけな世界です。それだけでもこの世界にいていい理由になる。外に安心できる世界を作ってくれたのは、鮫島先生です」
こういう場面があるのがこのドラマの丁寧なところだと思います。
こういう場面というのは、視聴者が疑問に感じたり、ツッコミどころだと感じる部分に対して回答が描かれるシーンについてです。
このドラマを好意的に見ている人でも、一輝は恵まれているだけなのではと思う人は多いでしょう。
たしかに一輝はおじいちゃんや鮫島先生に守られており、恵まれています。
しかし、あえて恵まれているということをまっすぐ描くことによって、人は環境次第で誰でも変わることができるかもしれないということが示唆されているように思います。
「自分じゃなんとも思ってないことが意外とすげえってことあんのかな」by新庄
尾崎さんの才能は「人には話せないけど、尾崎さんにはなんか話せる」というものでした。
「あたし、やっぱり言いたいこと言える自分がいい」
冒頭の問いかけに尾崎さんが応えます。
そしてさっそく言いたいこと言って、一歩踏み出すのです。
「新庄くんてさ、爪のかたちが綺麗だよね!」
尾崎さん魅力的な人ですね。
さて、虹一は光に対する感受性が強く、文字を読むときにストレスがかかることがわかりました。
文字を読もうとすると頭が痛くなっていたのは、それが原因で言い訳ではありませんでした。
「ダメなのは私でした」
「ダメな母親だって思われるんじゃないかって」
「見えない敵を、自分で勝手に作ってました」
「ありがとうございました」
「私、虹一のことが羨ましかったのかもしれないです」
他に原因があるのに、心の問題に矮小化されてしまうことはよくあることだと思います。
お母さんがこんなにすぐ変わるかなとも思ったのですが、それだけ一輝の言葉に感じるものがあったのでしょう。
育美と同じように、一輝との出あいは「わがみ」を知らされるものだったのですね。
なんだか今回の話を見ていて私は観経の韋提希夫人を思い出してしまいましたよ。
「汝はこれ凡夫なり」
韋提希夫人にとっては、お釈迦さまとの出あいによって自分の姿を知らされたのです。
自分で自分の姿を見ることはなかなかできませんから、自分の姿を知らされるような出あいを大切にしたいですね。
育美もすっかり黒育美から白育美になってしまって、なんだか寂しい気がします(笑)
「誰でもできることはできてもすごくないんですか?」
人よりもすごいことや、人と違うことをしていないとなかなか評価されないですけど、考えてみればここに存在していること、生活していることがすでにもう奇跡的ですごいことなんですよね。
その上で自分のやりたいことができれば幸せなはずです。本来は。
でもそれでは満足できずに、人と比べて少しでも上に立とうとして苦しむわけです。
毎週同じようなことを書いて恐縮ですが、このドラマでは我執による苦しみが描かれていると思いますし、どうしても仏教の視点で見てしまいます。
次回は気になっていた山田さん(戸田恵子)の過去が明らかになるのでしょうか。
来週も楽しみです。
私の満足度8(10段階)