あかつきブログ

仏教、音楽、世の中の出来事、サッカーなどについてあかつきが感じたことをゆるーく書きます(^-^)

最近気になること

気になる話題についてつれづれと書いていきます。

 

少年ユーチューバーの件

いくつか動画を拝見してみて、積極的に支持はしませんがこういう方がいても良いのではないかと思いました。

親御さんについては発言を追っていないのでわかりません。


【ロボットになるな!】不登校の天才YouTuber「麦わらのゆたぼん」

批判的な意見がたくさんあるみたいですね。

やりたくない宿題を押し付けられたというのが不登校の原因になってもおかしくないと私は思います。

また、「学校にいる友達がロボットみたいに見えた」という発言も批判されていますね。

たしかに、生徒たちを傷つける発言とも受け取れますし、春名風花さんが指摘しているようにゆたぼんさんを支持することで普通に楽しく学校に通っている子たちを闇雲に不安にさせることにもなり得るでしょう。「手のかからない生徒の心の摩耗」にも気を付けなければいけません。

でも、型にはめられるような学校の在り方に辟易としたことは私もありましたし、ゆたぼんさんもそれが主張したかったのではないかと思うのです。

「友達がロボットみたい」ではなく、違う表現を用いればもう少し受け入れられたかもしれません。

 

ただ、「学校に行かなくても良い」というメッセージだけではその先がもっと地獄という可能性があるなとは思いました。

学校をやめたら教育を受けるのが難しくなったり、目立った才能がある人しか生きていけない現状があります。

学校外での教育環境を整えていくことが必要ではないでしょうか。

もちろん、学校を過ごしやすい場所にしていく議論も必要でしょう。

「やめてもいいんだよ」だけではなく現状を変えることを試みたり、オルタナティブを提示したりできれば良いですね(※ゆたぼんさんに言っているのではなく私たち全員の課題として)。

 

それにしても『GTO』に始まり、前クールの『3年A組』や今放送中の『俺のスカート、どこ行った?』など、先生がスーパーマンみたいな人じゃないと環境って変えられないんですかね?

 

どのような学校にしていけば良いのかという研究も進んできているみたいですし、みんなで協力しながら少しずつでも変えていけたら良いですね。

  

相次ぐ事故の件

悲しいニュースが相次いでおり、報道を見ていると胸が締め付けられます

まず、被害者家族や関係者を傷つけるような報道は避けてほしいです。

そして加害者も法によって裁かれるのですから、安易に石を投げるようなことは避けるべきかと思います。

 

対策など何かすべきことはあるか、どうしたら良いかというのはなかなか難しいですね。

免許の返上を勧めるのも大事ですが、強制的に運転させないような決まりを作ることには慎重になった方が良いのではないでしょうか。

ある年齢の人が他の年齢にくらべて事故をする確率が高まるのか、事故の件数や事故によって命を落としてしまう方が増加傾向にあるのか、どのような事故が多いのかなど統計を見る必要があるでしょう。

 

そして、僧衣でできるもんのときも書いたのですが、どこまでのリスクを許容するのかという議論も必要です。

私の希望としては、誰かに我慢を強いるよりできるだけ多くの方が自由に暮らせる方向の議論をしたいです。

1人でも多く被害者・加害者を減らすことができるように、また当事者になってしまったときのケアを含めて考えていきたいですね。

まずは、自分自身の運転をもう一度見直し、勉強不足なので学んでいこうと思います

 

仏教ファンの件

仏教ファンについてどう思うかTwitterの仏教クラスタの中で議論があったみたいです。

 

発端は改元によって御朱印を求める方が大勢いたため発生した混乱、ということで良いのですかね?

だとすればマナーの問題ではないでしょうか。

難しい議論にせず、マナーを守りましょうねで良いでしょう。

でも、そこから派生したいくつかの議論は興味深いなと思いました。

 

◎「仏教ファン」と自称することについて

自称すること自体に問題はないように思います。

僧籍がないのに僧侶ですと偽ったら問題ですけどね。

 

仏教ファンと自称する方と出あったら私は嬉しいです。

仏教に対して好印象を抱いているのはほぼ間違いないわけですから。

「仏教ファン」という定義も曖昧ですしね。

Twitter上で仏教ファンではない仏教徒の例として「大きなお寺に観光には行かないけど、簡素なお内仏に毎日のお給仕を欠かさない」方が挙げられていましたが、私としてはそのような方こそ仏教ファンの最たる例ではないかと思うのです。

このように人によって定義が違いますし、まずは仏教に好意を抱いているということを前向きに受けとめても良いのではないでしょうか。

 

ただ、内実や言動は問われるでしょう。

「仏教関連の文化は好きだけど信仰心はないから寺でのマナーなんて守らねぇけどな」

などと言われたら仏教を好きだと言ってくれて嬉しいという第一印象を撤回せざるを得ません。

仏教ファンに批判的に見えるツイートをされていた方は、三宝への帰依がないことを指摘していました。

「仏教ファン」と自称することを批判しているわけではなく、その内実に関して指摘したものだったのでしょう。

一見仏教ファンを批判しているような方でも、マナーを守ってちゃんとお参りするならどのように自称しても問題ないと考える方がほとんどなのではないでしょうか。

ですから、仏教ファンと自称することはやはり問題ないと思います。

 

◎信仰心がない仏教好きはアリか

私は仏教に関する文化が好きなだけの人もアリだと思います。

アリというより大事な存在だと思います。

 

『ともに生きる仏教』では仏教に関連する社会活動や文化活動が取り上げられていますが、そのそれぞれの活動が多くの人に認められたからこそ書籍の販売につながり、仏教の教えも注目される結果となったのではないでしょうか。 

ともに生きる仏教 (ちくま新書)

ともに生きる仏教 (ちくま新書)

 

 

学生の頃、文化経済学の講義ではクロスビーさんの『文化経済学入門』を教科書として、文化の保護が大切だということを学んだと記憶しているのですが(間違っていたらごめんなさい。もう著書が手元にないので、入手出来たら確認してみます)、それよりもコーエンさんの『創造的破壊』の議論にあるように文化のグローバル化がその文化のコアな部分も守るのではないかと思います。 

文化経済学入門―創造性の探究から都市再生まで

文化経済学入門―創造性の探究から都市再生まで

 

  

創造的破壊――グローバル文化経済学とコンテンツ産業

創造的破壊――グローバル文化経済学とコンテンツ産業

 

 文化のグローバル化(文化が広く伝播すること)によって今まで縁がなかった人が新たにその文化に触れることができ、盛り上がって注目されれば予算をかけられるようになって、より伝統的な部分を守ることにもつながるのではないかとコーエンは言います(超ざっくり書きましたが本当はもっと精緻な議論がされています)。 

もちろん宗教と文化は違いますが、仏教ファンの話題から文化経済学を思い出しました。

 

何でもアリではダメですけどね。

ふざけたことは許さんぞという厳しい意見がある中で、ライトな仏教ファンの方に届く試みがされていくと良いかなと思います。

 

◎本当に仏教徒なのか?

仏教徒と仏教ファンの違いとは何かという問いがされていました。

定義にもよりますが対義語ではないように思います。

 

ただ、この議論のなかで主に真宗の方が「本当に私は仏教徒と自称できるのか」というようなことをおっしゃっていて、なるほどそうだなと思いました。

 

先日僧侶が集まる会議で「あなたにとってお釈迦さまとは?」と問われて私が「師です」と答えたところ、周りからの総ツッコミにあいました。

「お前はお釈迦さまを師といただけるような生活をしておるのか?」

というツッコミです。

真宗僧侶の中では(楽器を演奏することを除けば)わりと坊さんっぽい生活をしているような気もするのですが、本当に三宝帰依の生活ができているのかと問われれば否と答えるしかありません。

仏法に照らされて気付かされるのは、どこまでも三宝に背く私の姿なのかもしれません。

 

おわりに

読んでいただきありがとうございました!

ライブの告知をするためにこの記事を書き始めたのですが、話がまったく違う方向に行ってしまい、ライブももう終わってしまいました(笑)

次回はもう少しゆるふわな内容を書こうと思います!