あかつきブログ

仏教、音楽、世の中の出来事、サッカーなどについてあかつきが感じたことをゆるーく書きます(^-^)

YouTubeチャンネルを開設しました

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「帰去来、魔郷には停まるべからず」浄土真宗の法話

やってみて改めて思いましたが、動画って本当に難しいですね。

ユーチューバーの方々はすごいなと思いました。

当面は演奏動画やお話を投稿するつもりです。
最終的には自分が前面に出るのではなく、私がお話を伺いたい方に出演していただけるようになればと思っています。

よろしければチャンネル登録お願いいたしますm(__)m

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以下、動画でお話したことをまとめました。

 

「帰去来(いざいなん)、魔郷には停(とど)まるべからず」

 このお言葉は「さあ帰ろう、迷いの世界にとどまるべきではない」という意味です。帰る先は浄土という世界です。でも、住んでいるわけでも、行ったことがあるわけでもないのに、なぜ帰る場所と表現されるのでしょうか。そこでまず、私にとっての帰る場所を考えてみます。

 先日、僧侶の研修がありました。お会いしたことのない方や、先輩もいらっしゃいました。とても緊張していたので、研修が終わって帰宅すると安心したのです。そのとき、私にとって帰るべき場所とは、「おかえりなさい」と言って受け入れてもらえる、ほっと安心できる場所なのではないかと思いました。

 浄土は争いや差別のない世界だと言われています。「争いがおきないでほしい」「お互いを認め合える世界であってほしい」という、仏さまの願いによって建立された世界です。お互いに尊重し合うことができて、先に浄土へと還られた方たちが「おかえりなさい」と私たちを受け入れてくださる世界だからこそ、「さあ帰ろう」と表現されたのかもしれません。
 浄土と聞くと遠い世界の話のようですが、今を生きている私たちにも仏さまの願いがかけられています。しかし、仏さまに願われていても、私たちの住む世界を浄土のような世界にするのは簡単ではありません。ただ、「自分は迷いの中にいるのだ」と気づかされることはあるように思います。

 先日、腕に蕁麻疹が出ました。自分では、コロナ禍でも冷静に過ごしているつもりだったのですが、気付かないうちにストレスがたまっていたみたいです。そうやって、自分が迷いの中にいるとわかったとき、実は周りの人たちも迷いの中にいるのかもしれないと思いました。コロナ禍という、正解が見えない世界の中で、ともに迷いの中にいるのが私たちではないでしょうか。自分が正しいと思って、相手も自分こそ正しいと思っていたら、その二人はぶつかってしまいます。自分は迷いの中にいるのだと気付かされたときに初めて、相手とともに迷いながら歩んでいく世界が開かれてくるのではないでしょうか。それを教えてくださるのが仏さまであると受けとめています。

 阿弥陀さまという仏さまは、「南無阿弥陀仏」というお念仏となって私たちにはたらきかけてくださっています。自分が迷いの中にいると気付くのは難しいです。人と関わりあう中で気付かされるのだと思います。「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えながら、みなさんと一緒に迷いながら歩んでいきたいです。

そしていつの日かお互いに「おかえりなさい」と声を掛け合えたらいいですね(この締めの言葉は動画で言い忘れています 笑)

 

お読みくださりありがとうございました。