表現する自由・批判する自由・好きなものは好きでいい
鹿さんのブログ記事
この記事とその後のやり取りを見ながら書きたいことが二つ出てきました。
・感想を述べたり批評するのは自由だということ
・好きなものは好きでいていいということ(基本的には)
◎感想を述べたり批評するのは自由
まず、私は
表現するのは自由、批判するのも自由、再批判や批判への批判も自由
だと考えています。
何かを表現すれば批評されます。そのやり取りを通して表現が磨かれていくのですよね。
私としては、ちゃんと向き合ってくれた上での辛めの感想は嬉しいです(ムカついたりへこんだりする場合もありますが 笑)。
言いたいことが言えない世の中は怖いです。なので、意見の表明を控えるべきだとか、批判は絶対ダメだという考えには賛同できません(あくまでも私は)。
ただし、批評には責任が伴います。再批判や批判への批判がおこなわれる可能性がありますし、言論と人格とを分けて考えられる人ばかりとは限りません(私も完璧にはできないです)。ときには人間関係がこじれることもあるかもしれません。その覚悟や、そうなってしまう危険性は考えておく必要があると思います。それでも、感想を表明したいときにできる自由があるほうが私は好きです(表明しない自由ももちろんあります)。
私自身は批判をするのはとても体力を使いますし、好きなもののほうに時間をかけたいので必要な場合以外めったにしません。
鹿さんのブログのファンなので、これからも楽しみにしています。
◎好きなものは好きでいていい(基本的には)
感じ方は人それぞれなので、好きなものが批判されていても好きでいていいと思います。それでも私たちは空気に従ってしまいがちです。私たちは何かの良し悪しを判断する際、自分がどう思うかよりも周囲の判断(人がそれを良いと思うか悪いと思うか)を気にしてしまうことがあります。特に強い立場の人に影響を受けやすい傾向があるそうです。偉い人が批判していたら、自分でも気づかないうちに従ってしまうかもしれませんね。それぞれの思いで判断しているというよりは、空気を読みあっているのではないでしょうか。
あなたが好きなら好きでいいと思います(基本的には)。「基本的には」というのは、それが明らかな間違いである場合、法律に反する場合、実はあなたを苦しめている場合などがあるからです。難しいですね。 あと、人間は称賛より批判のほうを気にしやすいとも言われているので、好きなものを好きだと表明して応援するのは大事ですね。あなたの「好き」が誰かを救うかもしれません。
おわりに
即興法話を少しだけ拝見しました。とても素敵だなとか、自分がやってみたいなとまでは思いませんでした。でも、かなしいとも思わなかったです。法話の研鑽ですから、たぶん衣を着て演奏する人(そんな人いるんですか?)よりは正統派ですよね。本当に伝えたいことがあるからこそ、技術が必要な場合もあると思います。楽器も同じで、もちろん100%の表現なんてできませんが、それに少しでも近づくために本気の演奏とは関係なさそうな練習もします。遊びのように見える練習が、本気の表現につながっていきます。
そして、「上手いこと言ってるだけじゃん」と感じた法話から、後々気付きをいただくことがあります。仮に、話している本人が本気で伝えたいという思いで取り組んでいなくても、何かが伝わる場合もあります。即興法話に参加されている方々も「これがすべてだ」とは考えていらっしゃらないでしょうし、多様なスタイルの中の一つとしてあってもいいのでは? というのが私の感想です。
・鹿さんのブログ好きです(二回目)
・即興法話を好きだという方は好きでいていいと思います
以上です。