11/2(金)真宗大谷派名古屋別院の晨朝法話を担当させていただきました。
最近「他化天の大魔王」が出てくる和讃(現世利益和讃)についてぼんやりと考えていたことを、法話の形に整えてお話ししました。
話の内容
・最近「他化天の大魔王」が気になっている
・仏教における悪魔(仏教を邪魔するもの)とは何か
・世間で極悪人だと騒がれている人が悪魔なのか?
・実は悪魔とはこの私のことではないだろうか
・人の優劣を判断し、自分を上にして他者を下に見ようとして苦しむ私
・悪魔=私、と自分では気付けない
・「わがみ」を教えてくださる人や言葉との出あいがある
・念仏によって、私が私自身を邪魔していることに気付かされる
という内容でした。
歎異抄第七条の「念仏者は、無碍の一道なり」を念頭に置いてお話ししました。
他化天の大魔王が気になったのは同朋奉讃に出てくるというのもあるのですが、『阿含経典1』(ちくま学芸文庫)の総論に出てくる
「汝の肉体のいとなみが悪魔であり、汝の心のいとなみこそが悪魔であるといっておるのである。その釈尊の言葉の意味するところは、疑いもなく、悪魔とは、汝自身の肉体と精神のなかに生ずる迷妄であるということ」(p90)
という一文、及び同書「羅陀相応」に出てくるいくつかの経から影響を受けています。
ざっと書いてみて思いましたが、15分で話せる内容ではないですね。
話をおさめようとして後半は少し駆け足になってしまいましたが、ニュアンスだけでも伝わっていれば良いなと思います!
それと少しだけ触れましたが、人の上に立とうとすることだけが迷いなのではなく、必要以上に卑下してしまう(させられてしまう)こともまた迷いなのだという話にも、もう少し時間を割きたかったです。
より丁寧にお話できる機会があれば良いなと思います。
でも晨朝にお参りするのは気持ち良いものですね。