続・僧衣でできるもんについて
5日の朝、ツイッターの演奏動画を削除いたしました。
理由
・私の投稿にはハッシュタグの元の意味(僧衣での運転に関すること)が含まれていないため
・他者を傷つける可能性、他者の自由を著しく侵害する可能性に思い至ったため
以上の2点です。
感じていること
私としてはふざけて投稿したわけではありません。
前回のブログにも思いを綴っております。
ですが、ふざけていると受けとめられる可能性があるということに配慮が足らなかったことは事実だと思います。
他の方の考えは分かりませんが、実際にふざけて投稿された方は少ないのではないでしょうか。
・個人の裁量による取り締まりへの懸念
・僧衣について知ってほしい
・大切にしているものや自身の生活を知ってほしい(私の立場です)
そのような思いを持って投稿されている方がほとんどで、その試みは今のところ概ね成功しているように見えます。
ただ、世論というものはどう転ぶかわかりませんから、今後も受け入れられるとは限らないでしょう。
また、僧衣とはいっても法要の際の衣は綺麗に整えて、法要は法要として真摯に執り行なっております。
今回の件は改良衣や間衣(かんえ)と呼ばれる道中着についての議論です(よね?)。
間衣を着ている間は法要ではなくて普段の生活ですから、洋服を着ているときにしていることを間衣を着ているときにしてはいけないと感じるのは、未熟な内面を差し置いて外面ばかりを気にする私の在り方の表れなのではないかと受けとめています。
楽器は下手くそですが、音楽は私の生活の大きな部分を占める大切なものです。
ですから間衣を着ながら音楽を演奏するのも自然な行為ではないかと考えております(葛藤は抱えていますが)。
もちろん、生活のすべてが仏教に包まれているという前提においてです。
ただ、うちの宗派だからこそこのような議論も許されるのだという認識に欠けていました。
僧衣で楽器を吹き始めたきっかけ
私はおとなしい性格で、もっとパーソナルな部分が知りたいとお寺をともに支えてくださる御同行から要望を受けることもあります。
そのような気持ちを受けとめて、仏教の教えを絡めたミニコンサートを開催したり、坊さんバンドなどでの活動をしております。
発信に関して不安に感じていることがあるときは、みなさんにお聞きするようにしています。
実はYoutubeでの発信をしていこうか迷っており提案しているところです。
また行事ごとにアンケートを実施する予定で先月の行事から始めました。
法要や普段のお参りの際も、お経の速さや声の高さなど、その場をどのように作っていくかできるだけ話し合うようにしております。
お寺に足を運んでくださる方やご縁がある方とともに行事を作り、発信していきたいです。
ただ、コミュニケーションを取ろうとしていることに胡坐をかいて、実際にコミュニケーションが取れているかどうか確かめることを疎かにしているかもしれません。
そして、気軽に要望を言っていただけるような関係性を作っていきたいと思います。
おわりに
今回の件は、私にとって良いことしかありませんでした。
音楽仲間との出あい、手の綺麗さを褒められる、メキシコの僧侶の方と知り合えた、自分の承認欲求・軽率さ・考えの至らなさに気付かせていただいた・・・などなど。
しかし、誰かの幸福度を下げてまで、自分だけ幸せになるのは私の思いに反します。
僧衣で演奏することに関しては、賛否は有ると思いますが誰かの自由を侵害するまでには至っていないと思うので発信を続けます。
それにしても大きな問いをいただいたことだなぁと思います。
この投稿をもって「#僧衣でできるもん」に関する考察からは一旦離れます。
事態に進展があれば、いつかまた総括したいと思います。