【大恋愛 ~僕を忘れる君と】
【大恋愛 ~僕を忘れる君と】2018年 TBS系列 金曜22時
https://www.tbs.co.jp/dairenai_tbs/
あらすじ
女医の北澤尚(戸田恵梨香)は、婚約者である井原侑市(松岡昌宏)との結婚式1か月前に、引越のアルバイトをしている元小説家、間宮真司(ムロツヨシ)と運命的な恋に落ちる。同じ頃、尚が軽度認知障害(MCI)に侵されていることが判明する。それでも尚と真司はともに生きていくことを選び、2人の生活の様子を真司が小説に書いていく・・・というストーリー。
感想
昨年、全話録画しておいて年明けに一気に見ました。
まずは・・・
ムロツヨシがイケメンです!
戸田恵梨香が綺麗なのは当然ですが、ムロツヨシさんがめちゃくちゃかっこいいんですよ!
1話を見たときは正直キャスティング的にどうなのかなと思ったのですがハマリ役でした。
あと、このドラマの質が高い理由は出演者が演技派揃いということもあるでしょう。
最初から最後まで落ち着いて見ることができました。
前半から中盤くらいまでは普通の良質な恋愛ドラマという感じです。
結婚が決まったところに好きな小説の作者と出あい恋に落ちる・・・ってベタと言うかいかにも物語!というような出来すぎた話ですけど、違和感はなかったです。
演技力なのか脚本が良いからなのか、病気と向き合うというその後の展開が事前に分かっていたからなのか、その理由は一つではないと思います。
恋愛ものに病との闘いが加わるのもまたベタなのですが、それを真正面から超えていく力がこのドラマにはあったということでしょう。
後半は、尚が軽度認知障害(MCI)から若年性アルツハイマー病になるにつれて考えさせられる台詞やシーンが増えていきました。
「あの人とは対等なのに、私とは対等じゃないんだもん」
尚が真司に放った台詞です。
真司が小説を執筆する上で、尚は良き相談相手になっていました。
しかし、真司は主に担当編集者の水野さん(木南晴夏)と打ち合わせしながら小説を書いていきます。
仕事なので当然なのですが、尚にとっては病気が進行することによって真司が私を対等に見てくれなくなった、私よりも水野さんを選ぶようになったと感じたのでしょう。
「対等」って難しいですよね。
私は、困っている人を「かわいそうだ」と思う差別心を自分の中に見ることがあります。
心配しているふりをしながら、他者を下に見ることによって優越感を得ようとするのです。
無意識的にそのような状況に陥っていることが多く、これはなかなか抜きがたい感情なのだと思います。
だからといって、困っている人をそのままにしておいて良いのでしょうか?
全員同じ条件で暮らすことが対等なのでしょうか?
そもそも対等の定義は決められるものではないのでは?という問いは置いておいて、私見を述べると対等とは「対等に権利をもつ」ということではないかと思っています。
話がズレていきそうなので、また別の機会に詳しく書くことにします。
そんな尚に水野さんがかけた言葉です。
「奥さまは、生きてるだけで、先生の創作の源なんです。大切な、大切なやる気の元なんです」
尚はこの言葉に納得した様子なのですが、私としては少しモヤりました。
これは価値の話なのでしょうか。
「創作の源である」という価値がなければ、尚と真司は対等ではないのでしょうか?
でも、たぶんそういうことではないのでしょう。
「真司に私のこと書いてもらうのは私の生き甲斐なの。それが他の誰にも真似できない、私たちだけの夫婦の形なの」
「だから本当は対等かどうかなんてどうでも良いの」
尚の発言です。
先程の水野さんの言葉は真司にとって尚は価値があるという意味ではなく、尚と真司は出あうべくして出あった、縁があって結びついたのだということを表していたのではないでしょうか。
考えてみれば、人と人とが出あってともに過ごすことに理由はいらないですもんね。
後半の見どころは尚と真司の関係だけではありません。
尚の元婚約者であり主治医である侑市と、尚の母である北澤薫(草刈民代)の年の差婚は驚きました。
侑市も薫もそれぞれ恋愛が描かれるかなとは思いましたが、この二人がくっつくという展開は予想できなかったです。
侑市はそれまでの人生を堅実に生きてきており、結婚相手も条件に合うか合わないかのみを基準に探してきたのですが・・・
「目が覚めたからこうなったんだ」
「年は関係ないよ」
型にはまっていた人生から勇気を持って飛び出したのですね。
生きていく上で型も必要だと思いますが、型が自分の助けとなるのか、縛られてしまうのか境目が難しいなと思います。
さて、このドラマ、概ねおもしろいなと思ったのですが、気になったのは小池徹平が演じる松尾公平の存在感が大きすぎるのではという点です。
尚と同じ若年性アルツハイマー病を患う保育士の役でしたが、キャラが強すぎて侑市と薫の恋や尚と真司の生活よりもある意味目立っていたかもしれません。
このバランスで良かったのでしょうか?
でも物語のスパイスとして効いていたのも事実ですけどね。
色々と考えさせられました。
病気と闘っている人を一括りにして「いい人」だと思ってしまうことがあるように思います。
でも、当たり前ですが人間は一人ひとり性格が違います。
松尾は悪意の行動によって尚や真司をかき回していました。
その行動の裏には病気が原因で離婚したり、生きがいであった仕事を奪われたりと事情があるんですよね。
だからといって、して良いことと悪いことはあると思いますが。
ちゃんと一人ひとりの存在に向き合えているのか?という問いをもらったような気がします。
あと松尾が刹那的に生きている第8話あたりは寂しさや虚しさが伝わってきましたが、若年性アルツハイマー病が進行して様々なことが認識できなくなった最終話では幸せそうに見えたのが印象的です。
松尾の存在はまだ私の中でも消化しきれていません。
小池徹平の怪演でした。
色々と書いてきましたが、一番強い印象としては感想の冒頭に書いた通りムロツヨシがイケメンだということです。
「おれは尚ちゃんじゃなきゃ嫌なんだから。他の誰かじゃダメなんだ」
この台詞もすごい良かったしイケメンだし、まったく違和感はありませんでした。
考えさせられることも多かったですが、タイトル通り尚と真司の「大恋愛」として見ることが出来たのは、主演の二人の好演によるものでしょう。
録画しておいて正解だったなと思います。
私の満足度7(10段階)